新王国時代の首都ルクソール
ルクソールはかつてテーベと呼ばれていました。
新王国時代の首都です。
この地で歴代のファラオたちは自分の権威を示そうと巨大な建造物を築いていきました。
私が選ぶ世界三大「見どころの密集している都市」
ルクソールには訪れたい場所が山ほどあります。
ご紹介する遺跡はすべて世界遺産に登録されています。
あくまで私の感覚ですが、1つの都市でこれほど見どころが詰まっているのは他にエルサレムとローマくらいしかありません。
ただこの2都市と違って、ルクソールの見どころはそれぞれ距離が大変離れています。
すべてを回ろうとすると30kmくらいの移動距離があります。
しかも鉄道はもちろんのことバスも走っていません。
レンタサイクルで回る方法があるそうです。
しかし、ガイドブックを持っていない私には自転車で回るという選択肢はありませんでした。
エジプトの旅 ‐ルクソール ナイル川の東岸‐
自分のホテルが東岸にあったため、まず東岸から見て回ることにしました。
ホテルは東岸のほうが安く、その近くにちょっとしたお店やレストランがあります。
ルクソール神殿
アメンヘテプ2世とラメセス2世がルクソール神殿を建造しました。
ルクソール神殿は、あとで訪れるカルナック神殿の中にある、アムン大神殿の付属神殿という位置づけです。
そのため、ルクソール神殿とカルナック神殿はかつて参道で結ばれていました。
参道の一部分はルクソール神殿のすぐ近くに今でも残っています。
スフィンクスの並ぶ参道はとても見事です。
もちろん、スフィンクスの大きさはギザのスフィンクスよりもずっと小さいです。
それでも遠くまで一様に並んでいるスフィンクスを見る価値はあります。
長い歴史の中で首や足が欠けてしまったスフィンクスもありますが、昔の面影は十分にあります。
神殿入口にある塔門の前にはラメセス2世の1対の座像があります。
その奥に進んでいくと左側にオベリスクが1本そびえ立っています。
ルクソール神殿にはかつてオベリスクが2本立っていました。
無くなってしまった1本は今はフランス・パリのコンコルド広場に立っています。
19世紀にフランス政府はルクソール神殿にある2本のオベリスクをエジプトからもらおうとしました。
1年ほど掛けて説得してようやくエジプトからオベリスクをもらう許可を得ました。
フランスはまず神殿の正面に向かって右側のオベリスクを運び出しました。
もう1本も運び出す予定でしたが、両国の関係が悪化して計画は頓挫しました。
カルナック神殿
ルクソール神殿からカルナック神殿までは2kmほどあります。
交通手段をどうしようか考えているよりも歩いてしまったほうが良い気がします。
もし『ルクソール神殿を見れば、もう満足かなあ』と思っていても、カルナック神殿に着くとその気持ちはすぐに忘れてしまうでしょう。
カルナック神殿は細かく数えて10以上の神殿の集合体です。
その中でもアムン大神殿はエジプトで最大の神殿と言われています。
カルナック神殿に行くと時代と共に変わったファラオと神の関係が分かる!
今から4500年ほど前の古王国時代にはファラオ=神でした。
ファラオこそが神だったのでファラオは政治、経済、宗教のすべての力を一手に握っていました。
しかし、今から3500年ほど前の新王国時代になると様子が変わってきます。
ファラオ=神ではなくなりました。
ファラオは国のリーダーであり、時に英雄でした。
しかし、神性は衰えてしまったのです。
そのため、神との交信が可能だと言われた神官が経済力を有するようになりました。
さて、神の化身ではなくなったファラオはアムン神などを信仰し、神に守ってもらう存在になりました。
よって、新王国時代のファラオは神をあがめるためにアムン大神殿などをこぞって建てたのです。
このようにしてカルナック神殿はいくつもの神殿が集まる巨大な集合体となったのです。
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