今に続くイスラエル・パレスチナ問題
すべての責任はイギリスにある?
第一次世界大戦の頃、ヨーロッパの国々は植民地を増やしたいと思っていました。
現在のイスラエル周辺は当時オスマントルコ帝国の領土でパレスチナと呼ばれていました。
イギリスはこのパレスチナを植民地化したかったのですが、思うように進まず苦戦していました。
パレスチナではオスマントルコ帝国の支配によりアラブ人が苦しい生活を送っていました。
そこでイギリスはアラブ人に「もし自分たちと共にオスマントルコ帝国を倒してくれたら、あとでパレスチナの土地をあげるよ」と約束します。
アラブ人は喜んでイギリスに協力しました。
「約束の地」への帰還
今度は当時のユダヤ人に注目してみましょう。
ユダヤ人は「神から与えられた土地を取り戻したい!」という希望を捨てることはありませんでした。
そのため、ユダヤ人もパレスチナにユダヤ人の国イスラエルを再建したいと思っていました。
そこで、イギリスは世界史上もっともずる賢い作戦を思いつきます。
「ユダヤ人のみなさん、私たちに戦争の資金援助をしてくれたらあなたがたの長年の夢であるイスラエルの再建がかないますよ」と約束したのです。
アラブ人とユダヤ人を味方にしたイギリスはオスマントルコ帝国に勝利します。
オスマントルコ帝国はパレスチナから撤退し、イギリスがパレスチナを統治できるようになりました。
イギリスはユダヤ人に「約束通りパレスチナで自分の国をつくってください」と伝えました。
世界中でばらばらに暮らしていたユダヤ人は大喜びしてパレスチナに集まってきました。
パレスチナと呼ばれる地域はあの「約束の地」です。
ついにユダヤ人が約束の地に戻って来たのです!
ユダヤ人は1948年5月14日にイスラエル共和国を建国しました。
なんと1900年ぶりに自分たちの国、領土を取り戻しました。
アラブ人の不満
とりあえず「ユダヤ人、良かったね」と言いたくなります。
1900年以上も世界中をさまよい、そして迫害を受け続けたユダヤ人の幸せを喜ぶのは当然です。
でも、「あれ、アラブ人は?……」とも思いますよね。
イギリスはアラブ人に「もし一緒に戦ってオスマントルコ帝国を倒してくれたら、パレスチナの土地をあげるよ」と約束していました。
それなのにユダヤ人がパレスチナで暮らし始めました。
当然のことながらアラブ人とユダヤ人の関係は険悪になりました。
イギリスはこのもめ事からさっさと手を引きます。
イスラエルの周辺国はアラブ人の国ばかりです。
アラブ各国は当然アラブ人の味方であるため、イスラエルが建国宣言した日にイスラエルに侵攻しました。
これが中東戦争です。
イスラエルはまさに四面楚歌ですので勝ち目がないかと思いきや、めちゃめちゃ強くて戦争に勝利します。
エルサレムはどこの国の街?
終戦後、イスラエルはエルサレムを首都と定めました。
かつてのイスラエル王国と同じ首都にしたかったのですね。
しかし、国際的には認められません。
国際的に認められない理由は1947年の国連決議で「エルサレムはどこの国のものでもない」と決まったからです。
その後のたび重なる中東戦争によって、イスラエルはエルサレムを占領しましたが、国際的に占有を認められたわけではありません。
現在もイスラエルの実質的な首都はテルアビブです。
各国の大使館もテルアビブにあります。
なお、アメリカはトランプ大統領時代に在イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移転して世界を驚かせました。
パレスチナ自治政府
中東戦争ではイスラエルが強く、アラブ人は不利な状況に追い込まれました。
1993年にようやくアラブ人のためのパレスチナ暫定自治が始まりましたが、イスラエルとの衝突は続きます。
2002年以降、イスラエルは「自国の安全を確保したいから」という名目で、ヨルダン川西岸に大きな壁を作り始めました。
それによってアラブ人は壁に囲まれた生活を今も余儀なくされています。
まとめ
イギリスの思惑によってユダヤ人とアラブ人は憎しみ合う関係になってしまいました。
イスラエル・パレスチナ問題はいまだ解決していません。
ユダヤ人の建国したイスラエルはアラブ各国から今でも嫌われています。
このことはイスラエルに入国する時に実感することになるのです。
-
-
「イスラエルの旅 -世界一厳しい入国審査!?-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド
続きを見る
-
-
「ヨルダンの旅 -ペトラ遺跡を訪れたい!-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド
続きを見る