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韓国の旅 -東九陵と三陵公園を韓国ドラマと結び付けよう!-

このお墓で眠る王はどのドラマに関係している

恵陵(ヘルン)

韓国の歴史ドラマには歴代の朝鮮国王が出てきます。

ドラマに出ていた王様のお墓は韓国のどこにあるのか気になりました。

歴代朝鮮の国王たちは現在の韓国北朝鮮にお墓があります。

その中でも実際に訪問しやすい東九陵三陵公園に行ってみたのでご紹介します。

その東九陵三陵公園にお墓のある王様と関わりのある韓国ドラマを挙げて結び付けてみました。

参考になれば幸いです。

 

 

「東九陵」(トングルン)とは?

519年の歴史がある李氏朝鮮王朝の王陵(王のお墓)があります。

王だけでなく王族のお墓もあります。

どれも保存状態が良いです。

広大な敷地内をたくさん歩くことになりますので飲み物を多めに用意しておきましょう。

 

アクセス

以前は京義中央線九里駅が最寄り駅でした。

九里駅から東九陵までは2kmほどあり、タクシーで5分もしくは徒歩で25分ほどかかっていました。

しかし、2024年8月1日にソウル交通公社8号線の東九陵駅が開業しました。

これからは目的地である「東九陵」を冠している東九陵駅が最寄り駅です!

東九陵駅から東九陵の入口までは1.2kmほど離れていて徒歩10分ほどかかります。

 

王陵の特徴的な構図

元陵(ウォンルン)

まず最初に朱塗りの門(紅箭門)があります。

門を通ると参道があります。

参道の中央は王の道である「御路(御道とも言います)」が通っています。

その先には丁字閣といわれる建物があります。

この丁字閣は王の祭祀を行うためにあります。

肝心なお墓の部分はその先の丘の上にあります。

王のお墓はこんもりとした小山です。

全体が芝生で覆われていて質素です。

 

「東九陵」の見どころ

崇陵(スンルン)

崇陵(スンルン)

崇陵は18代国王・顕宗と明聖王后のお墓です。

顕宗17代国王・孝宗の長男です。

17代国王・孝宗はドラマ『華政』に関わりがあります。

孝宗は王になる前に鳳林大君(ポンリムデグン)と呼ばれていたのですが、その頃に人質として清に連れて行かれました。

その清で息子の顕宗が生まれました。

顕宗は李氏朝鮮の歴代王の中で唯一外国(清)で生まれた王です。

顕宗は19歳で王に即位します。

関わりのあるドラマには『馬医』があります。

顕宗の眠る崇陵「東九陵」の一番奥にあります。

顕宗と共に眠る明聖王后は19代国王・粛宗(スクチョン)の母親です。

『トンイ』で張禧嬪(チャン・ヒビン)を嫌っていた王后です。

 

恵陵(ヘルン)

恵陵(ヘルン)

恵陵は20代国王・景宗の妃である端懿王后のお墓です。

王のお墓ではありません。

端懿王后は世子嬪(世子の正妻)のまま亡くなりました。

世子は「王の跡継ぎ」を意味します。

死後、王后(王の正妃)として追贈されました。

フィクションではありますが、ドラマ『屋根部屋のプリンス』でユチョンが演じていた皇太子イ・ガクは20代国王・景宗のエピソードと重なる点が多くあります。

その景宗の最初の妃のお墓です。

 

元陵(ウォンルン)

元陵(ウォンルン)

元陵は21代国王・英祖と継妃貞純王后のお墓です。

英祖はトンイの子で、即位前に延礽君(ヨニングン)と呼ばれていました。

英祖は健康上の理由から二男・荘献世子 (チャンホンセジャ)に公務を代行させようとしました。

しかし、周囲の派閥争いによって英祖と世子の関係は悪化しました。

英祖が世子に厳しく接するようになったため、世子は精神的に追い込まれて異常行動を起こすようになります。

そのため、英祖は世子に自決を命じました。

世子が拒否したため、英祖は世子を廃位して米櫃に閉じ込めて餓死させました

世子は米櫃に閉じ込められて8日目、27歳で亡くなったのです。

事件後、英祖は世子を死なせたことを深く後悔し、思悼世子(サドセジャ)という名を贈りました。

亡くなった荘献世子には子供がいて、その子供がイ・サンです。

関わりのあるドラマには、『イ・サン』、『トンイ』、『テバク〜運命の瞬間〜』、『秘密の扉』、『ヘチ 王座への道』、『赤い袖先』などがあります。

元陵にある丁字閣の中はこんな感じです。

元陵にある丁字閣

 

顕陵(ヒョンルン)

顕陵(ヒョンルン)

顕陵は5代国王・文宗と顕徳王后のお墓です。

文宗は8歳で世子(王の跡継ぎ)になり、37歳で王位に就きました。

しかし、病気になって39歳で亡くなっています。

ドラマ『王女の男』、『チャン・ヨンシル 〜朝鮮伝説の科学者〜などは文宗の時代の作品です。

 

健元陵(コンウォンルン)

健元陵(コンウォンルン)

健元陵は初代国王・太祖のお墓です。

イ・ソンゲ(李成桂)という名のほうがなじみがあるかもしれません。

高麗の優れた武将であったイ・ソンゲはクーデターを起こして高麗王を廃位に追い込み、1392年に開京(今の開城)で自ら王位に就きました。

そして、漢陽(ハニャン・現在のソウル)に遷都して国号を「朝鮮」と改めました。

500年以上続く李氏朝鮮の始まりです。

ところで、李氏朝鮮という国名は日本的な呼び方で、韓国では朝鮮王国と言います。

イ・ソンゲは成均館を儒教教育施設にしたことでも知られています。

『六龍が飛ぶ』ではイ・ソンゲは主人公の父でした。

その他に『私の国』、『太宗イ・バンウォン』なども関わりのある作品です。

 

穆陵(モクルン)

穆陵(モクルン)

穆陵は14代国王・宣祖、懿仁王后、継妃の仁穆王后のお墓です。

豊臣秀吉は朝鮮に服属を強要しましたが、拒否されたため遠征軍を送り込みました。

いわゆる文禄・慶長の役です。

朝鮮国内が混乱している中で宣祖は首都を放棄して避難したため、国民からひどく批判されました。

宣祖が次期国王を決めずに逝去したことで、庶子でありながら国王になる条件を備えていた光海君(カンヘグン)が王位に就きます。

暴君として知られる第15代国王の光海君は大北派を支持していましたが、その大北派は宣祖の子であり光海君の兄である臨海君(イメグン)を殺害します。

また、宣祖の唯一の嫡男である永昌大君(ヨンチャンデグン)を姉の貞明公主(ジョンミョンコンジュ)とともに江華島に流刑にし、その後9歳の永昌大君をオンドル部屋で蒸して殺害します。

宣祖の妻・仁穆大妃に対しては地位を剥奪して幽閉します。

暴君・光海君の時代に宣祖の妻や子どもは悲しい運命をたどることになりましたが、光海君もまた宣祖の子なので何とも悲しい骨肉の争いです。

ちなみに、先ほど述べた嫡流の王女・貞明公主はドラマ『華政』の主人公です。

宣祖に関わりのあるドラマは他に『火の女神ジョンイ』、『王の顔』、『ホジュン ~伝説の心医~』、『王の女』、『王になった男』などがあります。

穆陵のおすすめポイントは他の陵と違って丘の上にあるお墓近くまで行けるところです。

穆陵

 

綏陵(スルン)

綏陵(スルン)

綏陵は追尊文祖大王と神貞王后の墓です。

生前に文祖は孝明世子(ヒョンミョンセジャ)と呼ばれていました。

23代国王・純祖の長男で世子でした。

4歳の時に世子になりましたが、王に即位できずに22歳で亡くなりました

その後、息子の24代国王・憲宗によって追尊されました。

追尊とは「生前に王位に就けなかった王子に死後王位の号を贈ること」です。

ドラマ『雲が描いた月明り』世子が文祖(孝明世子)です。

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三陵公園とは?

東九陵ほど多くの王陵はありませんが、ソウル市内にあって一番行きやすい王陵です。

地下鉄2号線・鉄道盆唐線の宣陵駅から徒歩5分以内です。

もしくは地下鉄9号線の宣靖陵駅からも徒歩5分以内です。

入場料は1000ウォンです。

開園時間は朝6時から夜9時までです。

 

宣陵(ソンルン)

宣陵(ソンルン)

宣陵第9代国王・成宗(ソンジョン)と、その3番目の王妃となった貞顕(チョンヒョン)王后のお墓です。

1495年に造成されました。

成宗は暴君・燕山君(ヨンサングン)の父です。

関わりのあるドラマには『逆賊 民の英雄ホン・ギルドン』、『七日の王妃』などがあります。

 

靖陵(ジョンヌン)

靖陵(ジョンヌン)

靖陵は第11代国王・中宗(チュンジョン)のお墓です。

中宗は即位前は晋城大君(チンソンテグン)と呼ばれていました。

混乱の時代を生きた王です。

関わりのあるドラマには、『逆賊 民の英雄ホン・ギルドン』、『七日の王妃』、『宮廷女官チャングムの誓い』、『師任堂、色の日記』、『オクニョ 運命の女』などがあります。

 

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