イラン 中東

イランの旅 -エスファハーンは世界の半分!?-

イラン バーザーレ・エスファハーン

エスファハーン

標高1500mにある「イランの真珠」とたたえられる古都です。

イランを訪れるならぜひ訪れてほしい町です。

さかのぼること1597年、アッバース大帝がエスファハーンを首都に選びました。

アッバース大帝自ら都市計画を推し進めただけあって、よく整備された町の景観は都にふさわしい立派なものです。

交易、経済、そして文化の中心となり、周辺国やヨーロッパからモノが集まってきました。

その繁栄ぶりはエマーム広場あたりに行けば実感できます。

なお、エスファハーンで観光をする際、入場料がイラン人と外国人では別料金になっていることがあります。

30倍の料金を取られることもあります。

これはもう仕方ないですね・・・・・・。

 

エマーム広場 

イラン エマーム広場

「エスファハーンは世界の半分」という有名な言葉はこの広場のためにあります。

アッバース大帝はこの広場を中心にして町づくりを行いました。

1598年に建造に着手しました。

この広場にはナグシェ・ジャハーン広場という別名もあります。

意味は「全世界の図」。

その別名が当時のサファヴィー朝の隆盛を物語っている気がします。

エマーム広場はとても広いです。

見どころでもある宮殿や礼拝堂、市場などが広場に面しています。

そのため、この広場一帯を見ればエスファハーンのほとんどの見どころを訪れたようなものです。

歩きやすい靴で半日以上かけて1つひとつ見て回りましょう。

 

マスジェデ・エマーム

イラン マスジェデ・エマーム

1612年に着工したサファヴィー朝時代を代表する建築物です。

イランのイスラム芸術と寺院建築を極めた建物です。

礼拝堂だけでなく、中に神学校もあります。

2本の高い塔がそびえ立つ、中央のエイヴァーンは迫力があります。

エイヴァーンとはイスラーム建築でよく見られる様式で、入口側に向いている壁がアーチ状に大きく開いているのが特徴です。

エイヴァーンは「イーワーン」とも言います。

上の画像を見てください。

エイヴァーンにあるアーチ状の部分は鍾乳石が幾重にも連なっていて大変美しいです。

これぞまさにイスラム建築です。

このエイヴァーン、なんと建造者が自費で造ったというから驚きです。

 

マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー 

イラン マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー

アッバース1世の命によって建造されました。

王族のみが使用するマスジェドなのでこじんまりとした造りになっています。

中庭やメナーレはありません。

 

アーリー・ガープー宮殿

イラン アーリー・ガープー宮殿

アッバース1世の時代に造られたイランで最初の高層建築です。

エマーム広場全体を見渡せます。

最上の音楽室は天井部分が漆喰で造られています。

 

メナーレ・マスジェデ・アリー

イラン メナーレ・マスジェデ・アリー

エマーム広場の北東にあります。

礼拝の呼びかけに使われる巨大なメナーレは砂漠の中の道しるべの役割も果たしたそうです。

メナーレはイスラム教の宗教施設に付随する塔のことです。

「ミナレット」と言うのが一般的です。

 

バーザーレ・エスファハーン

イラン バーザーレ・エスファハーン

8世紀頃からあり、「迷宮の市場」と言われています。

香辛料、装飾品、衣類まで見ているだけで楽しいです。

市場の中は何度も道が枝分かれしていますので迷わないように気をつけましょう。

エマーム広場から北東に行くとメナーレ・マスジェデ・アリーがありますが、そのさらに北東にあります。

 

マスジェデ・ジャーメ

イラン マスジェデ・ジャーメ

8世紀頃に建築されたエスファハーンで最も古いマスジェド(礼拝堂)です。

バーザーレ・エスファハーンのすぐ北にあります。

マスジェデ・ジャーメは「金曜モスク」とも呼ばれ、金曜日には多くの信者が訪れます。

シーラーズにも同じ名前のついた礼拝堂があります。

76m×65m四方の大きな中庭には赤いじゅうたんが敷かれ、信者はそこで祈りを捧げています。

中央にある2つの泉が印象的です。

中央アジアのウズベキスタンやカザフスタンで見られるような、色彩豊かな青タイルを美しく用いているのが特徴です。

イラン マスジェデ・ジャーメ

 

チェヘル・ソトゥーン庭園博物館

チェヘル・ソトゥーン庭園博物館

1647年にアッバース2世によって建てられた華麗な宮殿です。

名前は「40本の柱」という意味ですが、実際の柱の数は20本です。

正面の池の水面に映った20本を合わせると40本になるため、その名がついています。

庭が「ペルシア式庭園」として世界遺産に登録されています。

 

マドラセイェ・チャハール・バーグ 

イラン マドラセイェ・チャハール・バーグ

サファヴィー朝最後の王であるソルターン・ホセインの母によって17世紀頃に建てられました。

マドラセイェ(神学校)とマスジェド(礼拝堂)を兼ね備えた造りになっています。

 

ハシュト・ベヘシュト宮殿 

イラン ハシュト・ベヘシュト宮殿

サファヴィー朝後期1669年に造られた宮殿です。

エマーム広場から南西500mにあります。

現在は公園になっていて自由に散策できます。

公園は無料ですが、宮殿内部に入る場合は有料です。


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スィー・オ・セ橋

イラン スィー・オ・セ橋

ハシュト・ベヘシュト宮殿の西にある大通りチャハール・バーゲ・バーラー通りを南に進むと、500mほどでザーヤンデ川が見えてきます。

このザーヤンデ川に架かる橋がスィー・オ・セ橋です。

1602年に完成した長さ300mの大橋です。

この時代にこれほど大きな橋を造れる技術があったことに驚きます。

橋の上半分はアーチ状のデザインになっています。

イラン スィー・オ・セ橋

このアーチの数が33あります。

スィー・オ・セ橋の「スィー・オ・セ」はペルシア語で33を意味します。

 

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