ベネルクス

オランダの旅 -アムステルダム-

チューリップと風車の国オランダ

オランダ アムステルダム

まずはオランダの基本情報を確認しておきましょう。

正式国名 ネーデルランド王国

首都 アムステルダム

言語 オランダ語、フリースランド語

通貨 ユーロ

プラグ Bタイプ、Cタイプ、SEタイプ

ビザ免除 180日間の中で90日以内の滞在であればビザは不要。

オランダ生まれのミッフィー

オランダ生まれのミッフィーがクリスマスツリーに飾り付けられています。

 

アムステルダムは自転車に注意!

アムステルダムでは何度も自転車にひかれそうになりました。

自動車ではなく自転車にです。

私の知る限り、アムステルダムは世界で一番「自転車専用レーン」が整備されています。

歩行者が歩きそうな道幅を2つに分けて片方が「歩行者専用レーン」、そしてもう片方が「自転車専用レーン」になっています。

「自転車専用レーン」では自転車が最優先です。

私のようなルールを知らない者が「自転車専用レーン」に侵入しても、自転車のスピードを落としてくれません。

後ろから自転車のベルが鳴って慌ててよけると、その後自転車が猛スピードで走り抜けていきます。

もちろんルールを知らなかった私が悪いです。

ロードバイクが多く、とても速いので気をつけてください。

 

アムステルダム

オランダ アムステルダム

アムステル川にダムを造って人が住めるようになったことが街の名前の由来です。

アムステルダムは見どころがたくさんあります!

 

ダム広場

アムステルダムの中心にあります。

何日もアムステルダムに滞在しているとダム広場の前を何度も通ることになるでしょう。

アムステルダム中央駅の駅前通りは「ダムラック」と名づけられていますが、広場はそのダムラックに面しています。

王宮

ダム広場にあるのが王宮です。

元々は1655年に市庁舎として建てられましたが、1808年にナポレオン皇帝の弟ルイ・ボナパルト王が暮らし始めたので王宮になりました。

現在は迎賓館として使用されています。

 

新教会

オランダ アムステルダム 新教会

これもまたダム広場にあります。

「新しい教会」といっても500年以上前に建造されました。

歴代の王や王女の戴冠式が行われます。

最近では2013年にアレクサンダー王の即位式がここで行われました。

 

聖ニコラス教会

オランダ アムステルダム 

1887年に建てられた教会です。

聖ニコラスはオランダ語で「シンタクラース(Sinterklaas)」と言います。

オランダでは毎年12月6日(聖ニコラスの日)にシンタクラースを祝い、贈り物を送る風習があります。

1535年、ドイツの神学者マルチン・ルターはその風習をヒントにして「イエスの誕生日であるクリスマスに贈り物をするのがよい」と述べました。

これによってヨーロッパにクリスマスプレゼントという概念が広まります。

では、「サンタクロース」という言葉はいつ生まれたのでしょうか。

17世紀頃にオランダ人がアメリカに移り住むようになりました。

アメリカに聖ニコラスの日の風習が伝わっていく中で、「シンタクラース」という発音が「サンタクロース」に変化したと言われています。

つまり、聖ニコラスがサンタクロースのモデルです。

 

アンネ・フランクの家

オランダ アムステルダム アンネ・フランクの家

ここは時間を掛けてじっくりと見たい場所です。

『アンネの日記』をあらかじめ読んでここを訪れると深い意味を持つようになります。

ユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクはこの家の屋根裏部屋で『アンネの日記』を書きました。

アンネの家族は強制収容所に連行されるのを避けるため、アムステルダムにある隠れ家に住んでいました。

アンネは13歳から2年間ここで日記を書き続けました。

恐怖や悲しみを吐露するだけでなく思春期のアンネの心情が思いのままに書き留められています。

隠れ家は回転式本棚の裏から通じています。

アンネたちが身を潜めて暮らしていたことに思いを馳せると心苦しくなります。

保安警察に見つかって連行されてしまった時のことを思うとやるせない気持ちにもなります。

 

アムステルダムは芸術の街

国立ミュージアム 

オランダ アムステルダム 国立ミュージアム

フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、レンブラントの「夜警」などが展示されています。

二人ともオランダを代表する画家です。

ぜひ見ておきたいですね。

 

国立ゴッホ美術館 

オランダ人で最も偉大な画家といえばゴッホですね。

この美術館にはゴッホの作品が全部で750点以上もあります。

「ひまわり」、「寝室」、「自画像」、「カラスの群れ飛ぶ麦畑」など有名な作品を一度に見られます。

ゴッホと共同生活をしていたゴーギャンの作品も国立ゴッホ美術館に展示されています。

 

ゴッホはどのような人?

ゴッホがオランダにいた頃は寂しく貧しい暮らしをしていました。

そのせいか暗い絵ばかり描いていたと言われています。

その後、ゴッホはパリに移住します。

日本ではその頃に鎖国が終わり、日本の文化がパリにも伝わってきました。

当時パリに住んでいたゴッホは日本芸術の影響を受けました。

1887年にゴッホは歌川広重の浮世絵を模写しています。

ゴッホはモデルを雇うお金がなかったため、「自画像」の絵を2年間で27点も描きました。

パリに移住する前は自身を映し出す大きな鏡がなかったので自画像は描いていません。

彼がひまわりの絵を多く描いたのも経済的な理由があったのかもしれませんね。

1888年からゴッホはゴーギャンと共同生活を始めました。

次第にゴーギャンは自分の絵にケチをつけるゴッホに対して不満を抱くようになります。

ゴッホはゴーギャンからよく思われていないことに気づいていました。

ゴッホは精神異常をきたし、自分の耳を剃刀で切り落としてしまいました。

その結果、ゴッホはアルル市立病院に収容されます。

2週間ほどで退院したゴッホは自宅に戻り、耳に包帯をしている自画像などを描きました。

ゴッホはひどい幻覚を見るようになったことで近隣住民に恐怖心を与えてしまいます。

ゴッホは強制的に入院させられて監禁に近い生活を送ります。

およそ1年後、ゴッホは自分を養ってくれた弟の経済状態が悪化したことを知って「これ以上迷惑をかけられない」と思うようになりました。

1890年7月29日、ゴッホはピストルで自らを撃ったことにより他界しました。


サイドバー広告 ロゴのデザイン

 

アムステルダム中央駅 

オランダ アムステルダム中央駅

東京駅のモデルになったと言われています。

全く同じというわけではありませんが、2つの塔があることや色合いなどがよく似ています。

アムステルダムを基点として遠出をする場合にはこの駅を利用することになります。

 

アムステルダム・スキポール空港

アムステルダム・スキポール空港

世界のベストエアポートによく選ばれています。

鉄道駅と空港が直結していて便利です。

空港の地下にはお店がたくさんあります。

空港での待ち時間が長い時は地下を散策してもよいかもしれません。

私も空港の地下を歩き回って楽しむことができました。

ただ、その日は大雪だったため飛行機に搭乗してからが大変でした。

機内の座席に座ってから飛行機が離陸するまでに3時間も掛かりました・・・・・・。

 

NEXT PAGE
オランダ チーズ
「オランダの旅 -魅力がいっぱい♪-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド

続きを見る

おすすめ
ベルギー アントワープ)
「ベルギーの旅 -アントワープ-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド

続きを見る

 

 

 

-ベネルクス
-

© 2022 読めばすぐに行きたくなる海外旅行ガイド