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宗廟(チョンミョ)
李氏朝鮮の王と王族をまつる廟(びょう)です。
「廟」とは祖先の霊をまつる所です。
そのため、お墓ではありません。
世界遺産に登録されています。
・正殿
正殿は宗廟のメインの建物です。
最も西側に安置された太祖・李成桂(イ・ソンゲ)をはじめ、国民のために良い政治を行った19人の王とその妃の位牌49位が安置されています。
位牌が安置された各部屋の扉、「板門(パンムン)」は祭礼儀式の時以外は堅く閉ざされています。
板門の表面をよく見てみると隙間があります。
これは意図的に空けたもので内部の湿度を調節する役割があるとともに魂が自由に出入りするためのものだそうです。
・永寧殿
1421年、第2代国王の定宗(チョンジョン)の位牌を祀る際に建てられた別廟です。
永寧殿という名には「王家の先祖と子孫が永らく平安であれ」という願いが込められています。
初代の王である太祖・李成桂(イ・ソンゲ)の4世代前までの祖先を祀っています。
また、国王を追贈された穆祖・翼祖・度祖・桓祖とその妃たちの位牌など没後に位を贈られたり、正殿から移安されたりした王と妃の位牌34位が安置されています。
・功臣堂
李氏朝鮮時代に国や主君に対して忠誠を尽くし、功績を残した臣下83人を祀っています。
・神路
宗廟の敷地内には神路と呼ばれる石段の道が通っています。
これは「魂の通り道」です。
「参拝者は神路を通らないように」という注意書きがあります。
神路の両脇を歩きましょう。
文廟(ムンミョ)と成均館(ソンギュングァン)
「成均館」とは朝鮮時代の最高教育機関です。
現代の国立大学のような存在です。
初代国王太祖(イソンゲ)の命によって1398年に国家の儒学校として設立されました。
成均館の在籍者数は少ないときで100人、多いときで200人いました。
科挙(小科)に合格すると入学できます。
斎生(成均館の学生)たちは寮生活を送り、学費は支給されました。
斎生自らがおこなう自治会もありました。
「成均館」は現在の成均館大学のキャンパス内にあります。
当時から現在の場所にあり、中国の孔子の廟にあたる「文廟」や、講義をする場所「明倫堂」などで構成されています。
恵化駅から徒歩10分です。
ドラマ「トキメキ☆成均館スキャンダル」を見ると、成均館の斎生たちの暮らしぶりがよく伝わってきます。
・大成殿(テソンジョン)
文廟の正殿にあたるのが、大成殿です。
大成殿の両側の木が三網五倫(さんこうごりん)を表しています。
三網五倫は「儒教で守るべき教え」を意味する言葉です。
三網は「君臣」・「親子」・「夫婦」の間で守るべきことです。
五倫は五つの倫理を表していて家族や目上の人、友に対する際の心構えなどを説いています。
・明倫堂(ミョンニュンダン)
明倫堂は儒学などの講義を受ける場所です。
私が訪れた日は韓国の修学旅行生たちが明倫堂で体験授業を受けていました。
・寮
成均館の斎生たちが暮らす寮です。
水原華城(スウォンファソン)
朝鮮王朝22代目の王・正祖(チョンジョ)をご存知でしょうか。
韓国ドラマで有名なイ・サンです。
イ・サンは父親である思悼世子(サドセジャ)の陵を揚州から水原へ移すことを考え、それに伴い水原への遷都も計画しました。
水原華城はその際に築いた城壁や城門のことで世界遺産に登録されています。
西洋の築城法を取り入れて1796年に完成しました。
しかし、完成直後にイ・サンは亡くなり、遷都は中止になりました。
城壁は朝鮮戦争で破損した部分もありましたが、修復されています。
長さは5.74kmもあります。
写真に写っている華虹門は北側にある水門です。
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