グルジアからジョージアに国名が変更されたのは日本だけ
2015年よりグルジアという国名がジョージアに変わりました。
実はこの変更は日本だけで起きたことです。
元々英語表記でGeorgiaと書いて多くの国からジョージアと呼ばれていました。
では、なぜ日本はこの国をグルジアと呼んでいたのでしょうか。
日本は昔からこの国を知っていた
この国は19世紀頃にロシアの支配下に置かれていました。
そのためロシア語表記でグルジアと発音していたのです。
当時から日本はこの国の存在を知っていてグルジアと呼んでいました。
その呼び方が定着していたので最近まで同じ呼び方だったのです。
なぜ今さらジョージアと呼ぶようになったのか?
ジョージア政府から求められたからです。
かつてジョージアはソ連から独立し、またソ連が崩壊した後に築かれた独立国家共同体からも脱退するなど、ロシアから距離を置いてきました。
2008年にはジョージアの北部にある南オセチアを巡ってロシアと戦争をしています。
現在も南オセチアは不安定な状況であるため、旅行者は足を踏み入れてはいけません。
このようにロシアとの関係が悪いジョージアにとっていつまでも日本からロシア語のグルジアと呼ばれるのは喜ばしくありませんでした。
そのリクエストに日本が応えて日本語表記が変わることになりました。
ちなみに、日本が世界から「ジャパン」と呼ばれていても私たちが自国を「にほん(にっぽん)」と言うのと同様に、ジョージアの人達は自分の国のことを「サカルトヴェロ」と呼びます。
ジョージアの基本情報
正式国 ジョージア
首都 トビリシ
言語 カフカス系のグルジア語
時差 5時間
通貨 ラリ 補助通貨テトゥリ
ビザ ビザも滞在登録も不要。最新情報はこちらからご確認ください。
プラグ C
空港からトビリシ市の中心への行き方
トビリシ国際空港は市街地から18km離れているのでバスで移動します。
37番のバスに乗ります。
日本円で25円程度でとても安いです。
市街地まで約1時間かかります。
朝7時から夜11時頃まで運行しています。
私の体験
オマーンのマスカットからドバイ経由でジョージアの首都トビリシに朝5時50分に着きました。
私は飛行機が早朝の便だったので始発のバスまで1時間待ちました。
2月のトビリシは寒さが厳しく気温はマイナス1℃です。
とても寒く朝6時頃はまだ真っ暗なので、バスが来るまでは空港の建物内で待ちましょう。
私は外で待っていたのでずっと凍えていました。
海外のバスで困ること
バスの大変なところは、降りるべきバス停が自分ではよく分からないことです。
日本のバスと違い、次のバス停名がモニターに表示されるわけでもありません。
また、運転手がバス停の名前をアナウンスするわけでもありません。
そのため、景色などから降りる場所を判断するしかありません。
旧ソ連の人達はクールです・・・・・・
バスに1時間近く乗ったところで自分の降りるバス停を確認するため、英語で乗客の誰かに尋ねることにしました。
近くの人に聞いてみると英語が理解できないのか、求めている答えが聞き出せません。
英語が理解できないのは仕方のないことかもしれません。
ただ、驚くべきことはこちらが話しかけても表情1つ変えずにじっとこちらを見ているだけなのです。
他の人に話しかけると今度はちょっと呆れたように「そんなの分からないよ」という感じの表情で私を見てきます。
あくまで言葉は一切返してはくれません。
このような少し冷たい対応はジョージアの人だけでなくアルメニアの人の多くも同じでした。
また、ロシアの人達も同じなのです。
一人旅をしている自分にとってはけっこう寂しくなるのですが、国民性、民族性、風土などの影響なのかもしれませんね。
その後、しばらくしてジョージア人のおじさんが私に近づいてきました。
そのおじさんはジョージア語で色々と私に言ってくるのですが、表情からして少し怒っているようです。
ずっと言い続けられるので困りました。
ちょっと変わったおじさんのようです。
走っているバスの中で何かしらの不満をぶつけられる私。
周囲を見渡すと、クールなジョージア人たちがクールに私を見ているだけです。
おじさんからあまりにもずっと言われるのでバスが市街地に入ったところでバスを降りました。
バスの中にいるおじさんはバスから降りた私に文句を言い続けていました。
ジョージアの旅はさい先の悪いスタートになりました。
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