今に続くイスラエル・パレスチナ問題
-
「イスラエルの旅 -5分で分かるイスラエル・パレスチナ問題-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド
続きを見る
すべての責任はイギリスにある?
第一次世界大戦中、イギリスは敵対関係にあったオスマン帝国を倒してその土地を統治したいと考えていましたが、思うように進まず苦戦していました。
そこで協力してくれる仲間を増やそうと考えます。
当時アラブ人はオスマン帝国の支配下にあり苦しい生活を送っていました。
そこでイギリスはアラブ人に「もし自分たちと共にオスマン帝国と戦ってくれたら、あとでアラブ人の国家をつくる」と約束します。
アラブ人は喜んでイギリスに協力しました。
今度は当時のユダヤ人に注目してみましょう。
ユダヤ人は「神から与えられた土地を取り戻したい」と願っていました。
そのため、ユダヤ人も自分たちの国イスラエルを再建したいと思っていました。
そこで、イギリスは世界史上もっともずる賢い作戦を思いつきます。
「ユダヤ人のみなさん、私たちに戦争の資金援助をしてくれたらあなたがたの長年の夢であるイスラエルの再建がかないますよ」と約束したのです。
二枚舌外交ではなく三枚舌外交
アラブ人とユダヤ人を味方にしたイギリスはオスマン帝国に勝利します。
その瞬間アラブ人もユダヤ人も「自分たちの国がつくれる!」と喜んだことでしょう。
けれども、それは一時のぬか喜びに終わります。
イギリスはあらかじめフランスと「戦争が終わったらオスマン帝国の土地を山分けしよう」と密約していたのです。
イギリスは相反する3つの約束、三枚舌外交をしていたわけです。
結局、イギリスとフランスがオスマン帝国の領土を統治することになります。
イギリスが統治することになった領土にパレスチナも含まれていました。
ちなみにパレスチナとは地域の名前です。
かつてユダヤ人の国、イスラエル王国があった場所です。
「約束の地」です。
「約束の地」への帰還
ユダヤ人はイギリスにだまされましたが、約束の地に戻る動きを強めていきます。
その後ナチスによるユダヤ人迫害が起きたことでユダヤ人への同情が集まり、1947年に国連がパレスチナの地にユダヤ人の国をつくるのを認めました。
世界中で暮らしていたユダヤ人は大喜びして約束の地に戻って来ました。
ユダヤ人は1948年5月14日にイスラエル共和国を建国しました。
なんと1900年ぶりに自分たちの国、領土を取り戻しました。
アラブ人の不満
とりあえず「ユダヤ人、良かったね」と言いたくなります。
1900年以上も世界中をさまよい、そして迫害を受け続けたユダヤ人の幸せを喜ぶのは当然です。
でも、「あれ、アラブ人は?……」とも思いますよね。
オスマン帝国の支配下にあったときもパレスチナに住んでいたのはアラブ人です。
それなのに国連のお墨付きでユダヤ人が堂々とパレスチナで暮らし始めました。
当然のことながらアラブ人とユダヤ人の関係は険悪になりました。
アラブ人の国家をつくると約束していたイギリスはこのもめ事からさっさと手を引きます。
イスラエルの周辺国はアラブ人の国ばかりです。
アラブ各国は当然アラブ人の味方であるため、イスラエルが建国宣言した翌日にイスラエルに侵攻しました。
これが中東戦争です。
イスラエルはまさに四面楚歌ですので勝ち目がないかと思いきや、とても強くて戦争に勝利します。
エルサレムはどこの国の街?
終戦後、イスラエルはエルサレムを首都と定めました。
かつてのイスラエル王国と同じ首都にしたかったのですね。
しかし、国際的には認められません。
国際的に認められない理由は1947年の国連決議で「エルサレムはどこの国のものでもない」と決まったからです。
その後のたび重なる中東戦争によって、イスラエルはエルサレムを占領しましたが、国際的に占有を認められたわけではありません。
現在もイスラエルの実質的な首都はテルアビブです。
各国の大使館もテルアビブにあります。
なお、アメリカはトランプ大統領時代に在イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移転して世界を驚かせました。
パレスチナ自治区
中東戦争ではイスラエルが強く、パレスチナ地方に住むアラブ人は不利な状況に追い込まれました。
パレスチナに住むアラブ人のことをパレスチナ人と言いますので、ここからはパレスチナ人と呼びます。
パレスチナ人が住んでいる地域はヨルダン川西岸地区とガザ地区の2か所です。
イエス生誕の地ベツレヘムはヨルダン川西岸地区にあります。
ようやく1993年にパレスチナ人のためのパレスチナ暫定自治が始まりましたが、イスラエルとの衝突は続きます。
2002年以降、イスラエルは「自国の安全を確保したいから」という名目で、ヨルダン川西岸に大きな壁を作り始めました。
ガザ地区もイスラエル軍に包囲されていて人および物の出入りが極度に制限されています。
パレスチナ人は不自由な生活を今も余儀なくされています。
まとめ
イギリスの身勝手な思惑によってユダヤ人とアラブ人は憎しみ合う関係になってしまいました。
イスラエル・パレスチナ問題はいまだ解決していません。
ユダヤ人の建国したイスラエルはアラブ各国から今でも嫌われています。
このことはイスラエル入国時に実感するでしょう。
-
「イスラエルの旅 -世界一厳しい入国審査!?-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド
続きを見る
-
「ヨルダンの旅 -ペトラ遺跡を訪れたい!-」 読めばすぐに行きたくなる旅行ガイド
続きを見る