バルト三国の真ん中ラトヴィア
エストニアからバスで移動してきたラトヴィアの首都リーガはバルト三国ではもっとも大きな街だと思います。
ラトヴィアの基本情報
正式国名 ラトヴィア共和国
首都 リーガ
言語 ラトヴィア語
通貨ラッツ 補助通貨サンティームス
※ラッツの為替はユーロとほぼほぼ固定されています。1ユーロが約0.70ラッツです。「ほぼほぼ固定」というのは時には1ユーロが0.69ラッツになるなどわずかな変動があるからです。
プラグ 丸2ピンのCタイプ
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ラトビアの首都リーガへの移動方法
タリンのバスターミナルからラトヴィアの首都リーガのバスターミナルまでバスで移動しました。
バスは1日15便ほどあります。
所要時間は4~6時間です。
リーガのバスターミナルから200mほど歩くと歴史地区に入れます。
リーガについて
リーガはハンザ同盟加盟による繁栄を今もなお残しています。
見どころはリーガ歴史地区として世界遺産に登録されている旧市街に集まっています。
リーガ旧市街もエストニアのタリン歴史地区も13世紀頃にハンザ同盟に加盟したことで発展しました。
ともにドイツ人が主に築いた町です。
リーガの見どころにはそれに伴う逸話が多いため、感情移入しながら歩き回ることになるでしょう。
リーガ歴史地区の主な見どころ
- 聖ヨハネ教会・・・・・・13世紀のゴシック様式の荘厳な教会
- 聖ゲオルギ教会・・・・・・1204年に帯剣騎士団の城の一部として建造
- 聖ペテロ教会・・・・・・ワインの破片が教会の未来を左右すると言われる教会
- ブラックヘッドの会館・・・・・・美しい大時計を造った職人の悲しい結末が印象的
- リーガ大聖堂・・・・・・1211年に建てられたルーテル教会の大聖堂
- スウェーデン門・・・・・・スウェーデン兵に恋した娘の悲劇が起きた場所
聖ヨハネ教会
13世紀に建てられたゴシック様式の荘厳な教会です。
中世の頃は今では考えられない信仰心がありました。
人間を生きたまま建物の壁に塗り込むと災いからその建物を守れるという信仰です。
実際に聖ヨハネ教会で二人の修道士が自ら望んで教会の壁に入りました。
当然ながら二人はそこで亡くなりました。
伝説となっていた話は今から150年ほど前に教会の修復をした際に二人の遺骨が発見されたことで事実と判明しました。
現在は壁にある十字架型の穴が二人の修道士がいた場所を表しています。
また、教会の壁には石で造られた人の顔があります。
かつてその顔の裏側から神父が外に向けて説教をしていました。
聖ゲオルギ教会
1204年に帯剣騎士団の城の一部として建てられました。
今は工芸博物館になっています。
※教会を撮影しませんでした。すみません。
聖ペテロ教会
教会の塔は過去に何度も火災で全壊しました。
それから塔の改築のたびにワインの瓶を塔から投げ落とし、その破片の数が塔の存続する年数を表すという迷信が生まれました。
ブラックヘッドのギルド
貿易商人の中でも、未婚の者たちがブラックヘッドという会を創設しました。
ギルドは「会館・集会所」の意味です。
ギルドでは華やかなダンスパーティーなどが開かれていました。
外壁には実に美しい大時計が時を刻んでいます。
時刻を表しているだけでなく月日までも示しています。
その美しく精密な大時計を作った職人は再びそのような時計が作れないように目をくり抜かれてしまったそうです。
ロシアの息のかかった国ではこのような悲劇が起きることがありますね。
リーガの建造物は印象的な外観をしているものが多いですが、ブラックヘッドの会館がもっとも記憶に残りました。
リーガ大聖堂
1211年に建てられたラトビアの首都の旧市街にあるルーテル教会の大聖堂です。
教会内には19世紀末に造られたパイプオルガンがありますが、当時としては世界最大級のものでした。
スウェーデン門
17世紀末に造られた城門でリーガに唯一残る城門です。
当時スウェーデン兵がその門をよく利用していたのでこの名前が付きました。
その頃リーガの娘は外国人と会うことを禁じられていました。
しかし、ある娘がスウェーデン兵に恋をしてしまいます。
罰として娘は兵士と会っていたスウェーデン門の内側に塗り込められてしまいました。
今でも真夜中にすすり泣く声が聞こえるといういわくつきの門です・・・・・・。
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