ペルセポリス
中東の三大遺跡をご存じですか。
ヨルダンの「ペトラ」、シリアの「パルミラ」、イランの「ペルセポリス」の3ヵ所です。
偶然にもそれぞれの遺跡名がすべて「P」から始まるため、「中東の3つのP」と言われています。
私はペルセポリスを訪れたことで3つのPを制覇したことになります。
「ペルセポリス」とは「ペルシア人の都」という意味です。
その都の起源は紀元前520年頃までさかのぼります。
アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がここに都を造ることを決めました。
山から石を運んで来て巨大な宮殿や門などを建てました。
この都のスケールを目にすると、当時のペルシアがエジプトからインドまで領土を広げるほど勢いがあったのを実感できます。
ペルセポリスは200年ほど栄華を極めましたが、アレクサンダー大王に攻められて陥落しました。
世界遺産に登録されています。
遺跡内の見どころ
大階段
チケットを買って遺跡内に進むと最初に見えてくるのが大階段です。
ここを上がると、かつてのペルセポリスの全景が目の前に広がっています。
階段の足場は現在板が敷かれています。
その板の下をのぞくと2500年以上前に石工によって緻密に削られた石段を見ることができます。
クセルクセス門
ペルセポリス宮殿の正門です。
クセルクセス1世が建てたのでその名が付いています。
印象的な像が対を成しています。
東側は人面有翼獣神像、西側は牡牛像が通行人を見下ろしています。
残念なことにどちらの像も頭部がありません。
偶像崇拝をしないイスラム教徒が頭部を破壊してしまったのです。
アパダーナ(謁見の間)
ダレイオス1世の建てた宮殿です。
現在は柱が建っているだけですが、宮殿というだけあってかつてはレバノン杉を使った屋根に覆われていました。
屋根のあった当時を想像してみると、壮大なスケールの宮殿が思い浮かびます。
首都テヘランのイラン考古学博物館にはアパダーナの謁見図が展示されています。
アパダーナの「東階段のレリーフ」
このレリーフを見れば、当時のペルシアが強国であったことがよく分かります。
レリーフにはペルシア王の元へ属国の使いが献上品を持って来た様子が描かれています。
23の国の使者がそれぞれの民族衣装を着て献上品を持参しています。
アルタクセルクセス2世王墓
他の遺跡から少し離れた小高い丘にアルタクセルクセス2世の王墓があります。
アルタクセルクセス2世の王墓はそのままの形で残っているので旅行者としては満足度が高いと思います。
この丘からペルセポリスを一望できます。
タチャラ
タチャラとは「冬の宮殿」という意味です。
ダレイオス1世のプライベートな宮殿でした。
他の宮殿と比べれば保存状態が良く、南側部分では黒大理石が当時と変わらずに輝いています。
クセルクセス王のレリーフ
東階段のレリーフとは別のレリーフです。
東階段の南東にあります。
当時の王や仕える者たちの服装やひげが精密に彫られています。
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