ルーマニアの基本情報
正式国名 ルーマニア
首都 ブカレスト
言語 ルーマニア語・マジャル語・ドイツ語
通貨 レウ 補助通貨はバン
プラグ CまたはSEタイプ
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ルーマニアの暗い歴史
中央ヨーロッパでは第二次世界大戦が終わった後に不遇な時代を経験した国が幾つもあります。
その中の1つがルーマニアです。
1965年にチャウシェスクが共産党の第一書記に就任しました。
当初チャウシェスク大統領の人気は高かったのですが、人気はすぐに落ちます。
チャウシェスクが経済の立て直しのために過剰な輸出をおこなったため、国内から物がなくなっていってしまったのです。
そのため、国民は物を買いたくても物が不足して買えません。
物が不足しているので物の価値が上がり、値段も上がります。
値段が上がれば、さらに国民には手に入れにくくなります。
このような悪循環によって国民は飢餓に苦しんだのです。
このような中でチャウシェスクは徐々に独裁者へと変わっていきます。
1980年代になると秘密警察に国民の行動を監視させました。
ルーマニアの人々は恐怖政治におびえるようになりました。
国民が飢餓により死亡しているにもかかわらず、チャウシェスクは外貨を使って「国民の館」という宮殿の建設に着手しました。
貧困にあえぐ国民とは対照的にチャウシェスクとその家族だけは贅を尽くしたのです。
そして、25年ほど苦しみに耐えてきた国民の不満と怒りはついに爆発します。
ルーマニア革命
1989年12月16日にティミショアラからデモが始まりました。
その後すぐにルーマニア全土で抗議がおこります。
ルーマニア軍も革命側につきます。
危険を感じたチャウシェスク大統領夫妻は共産党本部の屋上に逃げ、そこからヘリコプターで脱出します。
大統領の治安警察は革命側の国民やルーマニア軍を攻撃します。
同じ国民であるにかもかかわらず、その攻撃は容赦ないものでした。
ブカレストには秘密の地下通路があり、治安警察はそこから地面に顔を出して多くの国民を射殺したのです。
しかし、まもなくしてチャウシェスク大統領夫妻は捕まりました。
その年の12月25日に裁判が開かれ、大統領夫妻に死刑の判決が下りました。
判決の直後にチャウシェスク夫妻は外に連れて行かれ、銃殺されました。
革命派はその様子を世界中に放送し、チャウシェスク大統領が確かに死亡したことを伝えました。
以上のような悲しく恐ろしい歴史を知った上で、首都ブカレストを巡ると旅に深みが出てくると思います。
ブカレストを観光する際には地下鉄を利用すると効率よく回れます。
ブカレスト
ルーマニアの首都ブカレストはかつて「バルカンの小パリ」と呼ばれていました。
凱旋門があるなど、それらしい街並みが一部で残っていますが、面影はほとんど残っていません。
歴史的な建物はかつて共産党によって破壊されてしまったからです。
現在の街並みはきちんと区画整理されています。
旧ソ連の影響下にあった国でよく目にする街並みです。
国民の館
チャウシェスク大統領が建設を命じた宮殿です。
8階建てですが、実は地面の下にもあって地下5階まであります。
33万㎡の大きさがあり、部屋数は3107もあります。
建設費用は1500億円ほど掛かりましたが、完成していません。
未完の状態で建設は終わりました。
「国民の館」という名前なので国民が自由に利用できそうですが、そうではありませんでした。
チャウシェスクが自身の欲を満たすために国民の血税を浪費して造ったのです。
宮殿内部は大理石の柱や金の装飾など豪華絢爛です。
午前10時から16時まで内部見学ツアーがあります。
ツアーには何種類かあって種類によって値段が違います。
一番安いツアーは日本円で300円程度です。
大主教教会
国民の館から500mほど離れたところにあります。
ルーマニア正教の総本山です。
教会内部に聖人ディミトリエ・バサラボフのミイラが祀られています。
革命広場
1989年のルーマニア革命の銃撃戦の舞台になりました。
秘密の地下道から姿を現す治安警察が国民を銃殺した場所です。
広場にはクレツレク教会があります。
旧共産党本部
1989年12月22日チャウシェスク大統領はここで演説した後、共産党本部前に集まった国民を残し、屋上からへリコプターで脱出します。
まるで映画のような脱走劇です。
ブカレストの観光が終わったら、次の目的地シナイアへ向かいましょう。
シナイア
シナイアはブカレストから120km北にある町です。
ブカレストを起点にルーマニアを周遊する場合はまずシナイアに行くのがおすすめです。
ブカレストからシナイアにいく列車は1日に20便前後もあります。
早くて1時間半で着きます。
シナイアは小さな町なので1日あれば徒歩で観光できます。
上り坂や急な階段がありますので少し体力が必要です。
シナイア僧院
17世紀に建立された寺院です。
門を入ったところにある建物はカロル1世が建てました。
ルーマニアの王様ってドイツ人?
かつてルーマニアには王様がいました。
1800年代にドイツから招かれたカロル1世がその人です。
共和制が敷かれるまでのわずかな間でしたが、ルーマニアには王様がいたのです。
ペレシュ城
カロル1世の夏の離宮です。
8年掛けて1875年に完成しました。
ドイツ出身の王様だけあってルーマニアよりもドイツで見かけそうなお城の造りです。
ペリショール城
ペレシュ城と200mほどしか離れていません。
こちらもカロル1世のお城です。
狩猟用の小さなお城です。
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