北マケドニアの基本情報
正式国名 北マケドニア共和国
首都 スコピエ
言語 マケドニア語
通貨 デナル 補助通貨はデニ
プラグ Cタイプ
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北マケドニアって、あのアレクサンドロス大王のマケドニア!?
厳密に言えば違う国です。
今の北マケドニアと古代マケドニアは領土の大きさが違います。
ただし、古代マケドニアの領土の一部が現在のマケドニアの領土であることは確かです。
北マケドニアの土地はビザンツ帝国やオスマン朝の領土になるなど、さまざまな国に属してきました。
ユーゴスラヴィアの解体が始まってすぐの1991年9月にマケドニア共和国として独立を宣言しました。
クロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立する時には戦争が起こりましたが、幸運にもマケドニアは争い事もなく独立を果たしました。
マケドニア領土内にあったユーゴスラヴィア軍の武器をすべて放棄してセルビアに渡すという約束を守ったためでした。
無事に独立を果たしましたが、マケドニアという国名についてはギリシャから反発がありました。
かつての大国である古代マケドニアはギリシャやマケドニアなどを領土としていて、しかもその半分以上がギリシャにありました。
ギリシャからしてみれば、マケドニア共和国がその古代マケドニアと同じ国名を勝手に名乗ることを許せなかったのです。
ギリシャはマケドニアに対して国名を変更するようにと何度も要求しました。
マケドニアにとって隣国ギリシャは最大の貿易相手国でもあったため、ギリシャの要求を無視できませんでした。
古代マケドニアの北部地域がマケドニア共和国の領土だったため、2019年2月に国名を北マケドニア共和国に改めました。
マザー・テレサはどこの人?
インドで慈善活動に生涯を捧げたマザー・テレサはインド人だったとよく勘違いされます。
インド人ではないとすると、どこの人なのか分からなくなってきますね。
実はマザー・テレサは北マケドニア人です。
18歳まで首都スコピエに暮らしていました。
マザー・テレサが生まれた頃の国名はオスマン帝国です。
スコピエ
カメンモスト
オスマン朝時代に造られた石橋です。
スコピエ中央駅やバスターミナルから北に歩いてヴァルダル川沿いを西に行くと、カメンモストに着きます。
オールドバザール
カメンモストを渡って、そのまままっすぐ行くと着きます。
工芸品を売る店やレストランなどがあって観光客におすすめの場所です。
屋台も出ていることもあります。
私はドーナツを注文しました。
揚げたてのたくさんのドーナツにチョコシロップと粉砂糖がかかっていて、とってもおいしかったです。
食感はフレンチクルーラーみたいでした。
また、弾力性のある小ぶりのソーセージ、チェバプチチをいただきました。
トルコ料理のキョフテと同じ感じです。
パンにチェバプチチと玉ねぎを好みの量だけ入れて食べます。
黄色いトウガラシも添えられています。
曲がりくねったオールドバザールを歩いていたら方向が分からなくなり、ホテルに戻れなくなりました。
道を尋ねようとしましたが、英語が話せない人だったり、見知らぬ私を煙たがったりで帰り道を教えてもらえません。
夜の11時半を過ぎてしまったので、タクシーに乗ってホテルへ帰りました。
みなさんは迷わないように気を付けましょう。
マスのグリル
中央ヨーロッパではマス料理がよく紹介されていてずっと気になっていました。
スコピエ駅内にあるレストランで初めていただきました。
塩とレモンで味付けがされています。
正直に感想を述べると見た目通り、そして予想通りの味でした。
スコピエからギリシャのテッサロニキへ
早朝にホテルをチェックアウトして朝6時にスコピエ駅のホームで列車を待ちました。
しかし、30分・・・・・・そして1時間経っても列車が来ません。
駅構内の待合室にいる人たちは英語を話せそうにないので、じっと待つのみです。
列車が予定通りに来なくても、放送などでアナウンスはありません。
12月末の寒い季節だったので、私は暗い待合室に移動しました。
待合室は異常なほど陰湿で暗いのです。
そこはストリートチルドレンのたまり場になっていました。
彼らは好き放題暴れまくっています。
ゴミも散らかし放題です。
ストリートチルドレンの境遇には同情するところもありますが、彼らほど危険な人たちはいません。
ルールもマナーお構いなしだからです。
目を付けられたら厄介です。
すべてのストリートチルドレンを十把一絡げに見ているわけではありませんが、ナイフを持っている場合もあり、略奪などの被害に遭う恐れがあります。
興味本位でストリートチルドレンに近づくのは控えましょう。
それからなんと5時間遅れで列車が来て、ギリシャのテッサロニキに向かいました。
早起きしたので車中で眠ることにしました。
途中何度も目が覚めては再び眠りにつきました。
夕方になってとある駅に到着しました。
目を開けると、たくさんの乗客が降りていきます。
「まだ夕方かあ。出発が遅れた分だけ到着は夜になるだろう」と思って、仰向けのまま寝ることにしました。
「・・・・・・あれ?」
なんかさっきとは列車が逆方向に向かっているような気がする。
仰向けになっていても、背中で違和感を感じました。
あわてて外を見ると、プラットホームの案内板にギリシャ語で「Θεσσαλονίκη」テッサロニキという駅名が書かれています!
頭が混乱しました!
こんなに早く着くはずがない!
・・・・・・でも確かにあれはテッサロニキという文字・・・・・・。
自分の個室(コンパートメント)を飛び出して、他の部屋へ。
誰もいません!
ってことは、この列車は車庫行きなのでは!?
既に列車はかなり加速していましたが、バックパックを背負ってドアのところへ。
列車の扉を手動で開けました。
もう飛ぶしかありません。
「わりゃぁ!」
・・・・・・バランスを崩しながらも、なんとか線路に飛び降りることができました。
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