バルト三国の1つエストニア
かつてはソ連の一部でしたが、その名残りはあまり感じません。
古き良き中世を私たちに見せてくれます。
陸でつながっているのがロシアとラトヴィアしかないので行く機会がなかなかありません。
ロシアとも西ヨーロッパともひと味違うバルト三国に一度は訪れましょう。
エストニアの基本情報
正式国名 エストニア共和国
首都 タリン
言語 エストニア語
通貨 ユーロ ※2011年より通貨はクローンを廃止し、ユーロに移行。
プラグ 丸2ピンのCタイプ
ビザ 観光目的で90日以内の滞在ならば不要。こちらから最新情報をご確認ください。
フィンランドからエストニアへ
エストニアの中でも中世の街並みを残すタリンはとても魅力的です。
そのタリンはエストニアの中でも最北にあり、フィンランド湾に面しています。
フィンランドの旅が終わった私はヘルシンキにいました。
「エストニアのタリンがフィンランド湾に面しているのなら、フィンランドからエストニアのタリン行きの船があるかもしれない!」と思いました。
早速ヘルシンキにあるフェリー乗り場に行きました。
マカシーニ・ターミナルです。
期待した通りにタリン行きのフェリーを見つけました。
午前10時発のLinda Lineというフェリーのチケットを購入し、1時間半かけてエストニアへ向かいました。
乗船チケットは20ユーロ前後で購入できます。
ヘルシンキからタリンに向かうルートは大変おすすめです。
なぜなら、出発地のフェリー乗り場はヘルシンキの中心からとても近く、また到着地のタリン港もタリン歴史地区に歩いて行けるからです。
タリン歴史地区は世界遺産に登録されています。
タリンの見どころはすべて歴史地区の中にあります。
もちろん歴史地区以外でも魅力的な場所はあります。
タリン歴史地区の主な見どころ
- ラエコヤ広場・・・・・・歴史地区の中心にある広場
- トームペア城・・・・・・中の見学はできない
- キーク・イン・デ・キョクとネイツィトルン・・・・・・トームペア南端の2つの塔
- アレクサンドル・ネフスキー聖堂・・・・・・1901年建設のロシア正教教会
- 大聖堂・・・・・・エストニア本土にある最古の教会
中世の街並みにあこがれる人にとってタリン歴史地区はおすすめです。
中世の都市を色濃く残す歴史地区はヨーロッパに幾つも点在しますが、その中でもタリン歴史地区は昔のままの姿を保っています。
あくまで個人的な感想ですが、中世の街にたっぷりと浸れるのはタリンとマルタ共和国のヴァレッタ旧市街です。
ところで、多くの旅行客は目的地に着くとガイドブックでその場所の歴史をさらっと読んで、写真を撮ります。
そして次の見どころにすぐに移動します。
でも、エストニアの歴史は日本人にはあまりなじみがありません。
ガイドブックで歴史のあらましを知ってもあまり分かった気にはなれません。
そのため、タリン歴史地区をしっかりと記憶にとどめたいのならあまり急がないようにしましょう。
1つひとつの見どころでガイドブックで歴史を知って、それから五感で歴史を感じてみてはどうでしょうか。
当時の人達の暮らしぶりを想像することもできます。
建物の造りを見ていると、その構造の必然性を知ることができます。
時間にゆとりを持って歴史と向かい合っていると大変思い出深い場所になると思います。
それでは、世界遺産に登録されている旧市街を歩いてみましょう。
城門をくぐって歴史地区に一歩足を踏み入れれば、中世の世界にタイムトラベルしたような気持ちになります。
ラエコヤ広場
ラエコヤ広場は城壁内の中心にあります。
タリン港や市民ホール港から城壁内に入って歩いていると自然に辿り着きます。
12月に訪れたのでクリスマスの市場が開かれていました。
コンサートもしていて、人々がもっとも集まっている場所です。
北ヨーロッパに今では1つしか残っていないゴシック様式の旧市庁舎があります。
トームペア城
歴史地区の南西、一番奥にはトームペアという丘があります。
高さ24mの丘なのであまり高くありませんが、タリンの街並みが遠くまで見えます。
そこにトームペア城があります。
13世紀に建てられましたが、現在の姿になったのは18世紀のことです。
エストニアの騎士団のお城でした。
しかし、騎士団のイメージと違って外観はピンク色でかわいらしい印象を受けます。
今も国会の議会がおこなわれる場所なので内部を見学することはできません。
キーク・イン・デ・キョクとネイツィトルン
キーク・イン・デ・キョクはトームペア南端の塔で「台所を見ろ」という意味があります。
15世紀末に街を守る砲塔として建設されました。
ここから下町で生活する人々の暮らしぶりが見えました。
台所なども見えたので「台所を見ろ」と命名されました。
市民の生活を見守ることが外敵の侵入を見張ることにつながるのですね。
隣にはネイツィトルンという「乙女の塔」があります。
体を売って生計を立てる女性の牢獄だったことが名前の由来です。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
今から100年ほど前まではエストニアはロシアに支配されていました。
そのため、1901年にロシア正教教会としてアレクサンドル・ネフスキー聖堂が建てられました。
歴史地区の中でここだけロシアの雰囲気が漂っていて異質ですが、歴史の変遷を感じられる場所だとも言えそうです。
聖堂内に入れますが、撮影はできません。
大聖堂
大聖堂と言うほど大きくはありませんが、エストニア本土にある最古の教会です。
1219年にデンマークがエストニアを占領し、その年にデンマーク人が建てました。
教会内は墓所があり、貴族だけでなくギルドの墓石もあります。
撮影はできません。
外観ばかりの撮影
旧市街である歴史地区を歩いて撮影をしていくと、外観ばかり撮影していて内部の撮影をしていないことに気がつきます。
タリン歴史地区は多くの場所が内部に入れないか、入れたとしても撮影できません。
内部の記憶を写真に残せないのが少し残念なところです。
教会内やおみやげ屋に内観を写した絵はがきが売っています。
思い出を残すために絵葉書きを買ってみるのも良いかもしれません。
ヨーロッパと日本の違い
13世紀にタリンはハンザ同盟に加盟して財力をつけました。
その頃のタリンの街並みが今もなお残っています。
歴史を徹底的に残すことで世界中の観光客を魅了しています。
日本にもそのような徹底ぶりがあっても良かったですね。
もちろんヨーロッパと日本では建築事情が違います。
石材やレンガを用いたことで耐久性の高い建物を造ったヨーロッパと違い、日本は主に木材を使用した建物を造っています。
木造建築は戦争や大火で焼失しやすいという短所もあります。
最近日本ではお城などの遺跡の復元が頻繁におこなわれています。
日本らしさを象徴する建物や町並みが観光立国へのいしずえになると考えているからなのかもしれません。
たしかにエストニアに行ってみるとその国のアイデンティティを残すことの大切さがよく理解できます。
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